もしかしたら私は他人の痛みを理解しない女かもしれない。
子育ての経験のある人なら分かることだと思うが、子供が「痛い、痛い」と言うことはしょっちょうだ。
だからだんだん鈍感になって、「あ~また言ってる」とか、あまり大声では言えないが「あ~また面倒くさいことになる」などと考えてしまう。
トバッチリを受けるのはいつもその子供だ。
三女が小学生の時のこと、日曜日の午前中。家には大型犬のラブラドールレトリーバーがいて、彼女はその犬をからかいながら居間中を飛び回っていた。しかも「カトちゃん、ぺ」、磯野波平さんのようなカツラをかぶり、それを犬に取られるのが面白いのか、鬼ごっごのように走り回っていた。
仕事も無い日曜日、のんびりとしたい気分に浸りたかった私にとってはイライラの種でしかない。思わず、「も~、いい加減にしなさい!!!」と叫ぶ。何回かドタバタと、犬が彼女からカツラを奪い取った後、「ギャー」っという激しい泣き声。
「耳かまれた。耳かまれた。」と泣きわめく三女。
「だから言ったでしょ。もうやめなさい!」と怒る私。
冷静なのは長女、「お母さん、耳のカケラが落ちてる。」
その後はもう大変、
よく見ないと分からない耳の小さなカケラをラップに包み、氷で冷やし、救急車を呼ぶ。
日曜日にも関わらず東京女子医大の形成外科に行くことが出来たので、幸いにも彼女の耳はホリフィールド(マイク・タイソンに噛まれた)の耳のようには成らなかった。
長女が短大生の時、盲腸になった時もそうだった。
夜中の2時に何度も起きてきて「お腹が痛い」と訴える。私は眠い。でもあまりに何回も言うので車で救急外来に連れて行った。
医者が言うには、「検査結果は盲腸のようだが、患者の様子を見ていると手術した方がいいかなあ、どうかなあ。」、そして「どっちにしますか?」と逆に質問された。
彼女は手術を選択したのだが、その後、医者から「腹膜炎ぎりぎりのところでしたよ。手術して良かったですね。」との結論を伝えられた。
このことは、私が鈍感だったのか、彼女がとても痛みに強かったのか、と考えさせられる。
人の痛みの強さの表しかたは人それぞれだし、ハタからみて痛みがそれほどでも無いと感じさせる人は、逆に要注意かもしれない。
91歳の父は正月にインフルエンザにかかった。高熱から回復して安心したが、その後腰痛を訴える。全く動けないという父のために、家中大掃除をして車椅子を借りてきた。ここからは車椅子とベットの生活になってしまうのかと覚悟したが、整形外科のレントゲンからは異常は見られない。
結局のところ、一週間寝込んでしまったことが筋力を弱めた腰痛なので、本人が動かなければ良くはならないとのことだ。
出来るところはなんとか自らの足で動くようにと、家の中で車椅子を使うことをやめた。父は依然として「痛い、痛い」と大騒ぎする。しかし、良く観察していると私がいる時の方が痛みを訴える。
注意はしているが、なるべく見られないようにする、ここは寝たきり老人にしないためと。父には申し訳ないが、「娘はきびしい」のだ。
もしくは、私は本当に他人の痛みを理解しない女なのかもしれない。
「痛~ぁい、痛~ぁい」と叫ぶ老人。「ゆっくりで良いから自分で歩こうね。」と言う私。
この鈍感さが、介護のプレッシャーから私を救う。寝たきり老人への分かれ道に立つ父も救う。
ずいぶん長いこと生きてきた。なのに未だに悩みは尽きぬ。せいぜい臨機応変に生きるのだ。それが幸せの元。 Although I've been alive for enough years, I still have too many things to fret. But I'll live flexibly from now on. It should make me happy.
2012年1月29日日曜日
2012年1月26日木曜日
パニック障害に効く脳トレ
昨日のNHKの「あさイチ」でパニック障害について特集していた。いつも何か心配なことがあって心から離れないってことは、健常な人でもあると思う。
そんな時の脳トレを紹介していたのが、とても興味を引いた。
1 目を閉じて、小川が流れている情景を思い浮かべる。
2 その小川に葉っぱがヒラヒラと浮かんでいる様を想像する。
3 嫌なことや、心配になっていることをその葉っぱのひとつひとつにのせて、流してしまおう。
一日一回、15分ぐらい、そんな感じで瞑想すると、だんだんとポジティブに心をコントロール出来るというもの。
その番組を見ていて思い出したことがある。以前、自己啓発のようなワークショップに参加した時、(怪しいものではありません。)30人くらいの参加者ひとりひとりにオレンジを一つずつ渡され、まずはそれを良く観察する。
1 このオレンジは自分のもの、と分かるように特徴を探す。例えば、デコボコしているとか、傷がある とか。ほかのオレンジより色が濃いとか。
2 参加者全員が自分のオレンジを確認したら、一か所にまとめて全員のオレンジを置く。自分のオレ ンジの所在をしっかりと確認しておく。
3 遠くから見つめていても自分のオレンジが何処にあるか分かる。
4 ここで、心の転換を行う。つまり、たくさん有るオレンジは全部同じようなオレンジ、ただのオレン ジ、と意識を変える。もうそこには自分のオレンジは無い。つまり、自分のオレンジのことを忘れる。
5 しばらくしたら、また自分のオレンジを目で追って探しだす。「あ~、あった。アレが私のオレンジ」 っていうように。
小川の脳トレもオレンジのトレーニングも、執着する心を解放す訓練だ。しかも問題からの逃避ではない。そう、考えれば、昨夜おじいちゃんがオシッコまみれで着替えやら、洗濯やら大変だったことなんて、どうってことは無い。ただ、ワイドハイター入れて洗濯すれば、済むこと。
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