2012年2月23日木曜日

ストーカー猫、ストーカー犬

最近、野良猫には猫エイズが蔓延してるらしく、猫を家の中のみで飼っている人も多いようだ。
私の家の近所にも、そんな大切に育てられているニャン子がいる。
雄猫の「トム」。よくケニーの散歩の時に会うのだが、飼い主さんはトム君をリード付きで散歩させている。ケニーのような大型犬に遭遇しても(彼女曰く、犬といっしょに飼っているから)全く動じない。
猫だから、人に媚を売らない。でも「トム!」と呼びかけると、「ニャー」と答える、面倒くさそうに。

ある日のこと、この飼い主さんが猫を2匹連れて散歩をしていた。珍しいので聞いてみると雌猫が勝手についてくるとのことだった。
トムは縞しまのキジ猫で、この雌猫は体がトムよりひと回りも大きいブチの猫だ。
その時はそんなこともあるのかと気にもかけず別れた。
数日後、今度は家からずいぶん離れたところでまたこの2匹を連れて(?)散歩している彼女を見かけた。
こんなところまでついてくるの?と尋ねると、彼女が言うには、
最近は散歩の時間を見計らったかのように家の前で待っていて、外に出たとたん、ずーっとついてくるらしい。

これは正しく猫のストーカーだ。

と思ったら、我が家には犬のストーカーがいる。ケニーだ。

犬は賢くて、家の中の誰が何をしてくれる人か、よく理解している。
ご飯が欲しいときはくれそうな人をつけまわす。
誰かが食事をしていれば、テーブルのそばでオコボレを貰おうと待つ。
ケニーを無視して、テレビの方に視線をやっていると、
視界に入り易い場所まで移動してジーッと見つめる。
昼時など、静かに食事の用意をしてひとり自室で食べようかと思ったところで、絶対見つかってしまう。一挙手一投足をいつもストーカーのように見ているのだ。

深夜までパソコンに向かっていると、部屋の扉がカチャっと開く。
廊下の暗がりの中から真っ黒い犬がこちらを覗いている。
犬なりに就寝時間を決めているのか、私の部屋へやってきたのだ。

「まだ仕事してるの?早く寝ようよ。」と三白眼の目が訴えている。
正にストーカーの目だ。

2012年2月10日金曜日

豆まきの後

2月3日、節分に豆まきをするのが恒例の行事だ。
「鬼は外、福は内」で豆をまくと、家中が豆だらけになる。その豆を掃除するかのごとく全部食べてくれるのが、愛犬ケニーだ。一年に一回のことなのにしっかりと覚えていて、豆をまこうとする私の前に立ちはだかり「早く、早く、食べたいよ~」と言わんばかりだ。

しかし、今年の節分は悲惨だった。

きっかけは豆まきより数日前、東京も今年の寒波に震えあがるような日々が続き、夜の散歩も体の芯から冷えてしまった時だった。この犬も10歳を越え、人間なら60歳代というところだろう。にも関わらず、私は30分のスロージョギングにつき合わせた。普通なら15分も走れば暖かくなるのに、その夜は本当に冷えた。帰宅した後、あまりの冷えに私は下痢になってしまった。
そして深夜、ケニーの様子がおかしい。いつもは丸くなって寝てしまう時間なのに、誰かが動く度に何かを訴えるように着いてくる。仕方ないので外に連れ出すと、酷い下痢を起こしていた。
犬だって同じように冷えるのだ。

しかし、私はこのことをすっかり忘れていた。

「豆くれ~、豆くれ~」とばかりに飛びつくケニーに「福は内」と豆をまいた。
ケニーが私のまいた豆を全部食べたのは当然のこと、私は「部屋を掃除しなくて済んだ。」とさえ思った。

その後、ケニーの下痢はぶり返し、獣医から貰った薬を飲ませた。
一日絶食もさせてが、その後も良くならない。もはや夜もゆっくりと休めない。寝床のそばに鍵をポケットに入れたダウンジャケットを置き、靴下を履いて寝る。玄関には水入りペットボトルの入ったお散歩バッグを置く。いつでも出かけることが出来るように戦闘態勢だ。

深夜、丸くなって静かに寝ていたケニーがガバッと起きる。まるで「トイレに行きたいよ~。早くー、早くー」と言う子供のようだ。そんな調子で朝まで3回も外に飛び出した。

極寒の人通りもない深夜、犬にリードを引っ張られながら水ボトルを持って走り回る私。深夜営業のタクシーから見ても、きっと変な光景だっただろう。

あ~、来年の節分からは「エアー豆まき」にしよう。と、心に決めた。


2012年2月8日水曜日

見えないものが見える。

父は最近、私には見えない物が見えるらしい。

母が亡くなってから、今年で早十三回忌になる。ひとり暮らしの父と同居し始めてから4年目に入った。

最初のころは父が同じことを言うのを半分ふざけているのかと、思っていた。歳とともに物忘れがひどくなるのも仕方のないことだが、90歳を越えてからは体力的にもずいぶんと衰え、物忘れの症状もひどくなった。更に、正月の一週間インフルエンザで寝込んだ父は日中ボーっとしている時間が長くなった。

ある日、窓の外を眺めながら「あそこにいる人は何をやってるんだ?」と私に聞く。
何のことか分からず聞き返す。
どうも、窓越しに見える家の屋根に人がいるらしい。と言うか、父だけに見えている。
絵を描くことが好きだった父に紙と鉛筆を持たせた。描きあがった弱々しいラフスケッチから、その場所だけは判明した。どうやら、白いシャツを着て、黒のズボンを履いている男の人が紐でぶら下がっているらしい。座っているようにも見えると言う。
ちょっと空恐ろしい気もするが、父は別に怖がるでもない。日によっては「イチ、ニー、サン、シー、あ~今日は5人もいるなあ、何をしてるのかなあ。」と言う。

ある機会に主治医に聞いてみると、どうやら老人にはよく有ることらしい。物は考え方次第。家族がそれをどう捉えるのか次第だと説明を受けた。投薬治療をすることもあるらしい。

保険関係の提出書類に必要なので、その主治医から診断書をいただいた。内容には「認知症」と書かれていた。
(あ~やっぱり、認知症なんだ。)と私は心の中でつぶやいた。

物の本に「認知症の老人が部屋の中のカラスをなんとかしろ、と言って騒ぐ」などという話が載っていた。父の場合は只々淡々としていて騒ぐでもない。孫娘たちからは「おじいちゃん、う・け・る!でもちょっとヤバくない?」などと面白がられている。私は、ご飯粒を口の周りに付けている父を見る時でさえ、心のどこかで「認知症」を受け入れ難く思っている。

とは言え、当の本人は一番幸せかも知れない。私と、孫娘3人に囲まれて段々と子供のように戻っていくのだろう、この先は。薬を必要とするわけでもなく、また今日一日が淡々と過ぎていく。