2012年1月29日日曜日

他人の痛みを理解しない女

もしかしたら私は他人の痛みを理解しない女かもしれない。

子育ての経験のある人なら分かることだと思うが、子供が「痛い、痛い」と言うことはしょっちょうだ。
だからだんだん鈍感になって、「あ~また言ってる」とか、あまり大声では言えないが「あ~また面倒くさいことになる」などと考えてしまう。
トバッチリを受けるのはいつもその子供だ。
三女が小学生の時のこと、日曜日の午前中。家には大型犬のラブラドールレトリーバーがいて、彼女はその犬をからかいながら居間中を飛び回っていた。しかも「カトちゃん、ぺ」、磯野波平さんのようなカツラをかぶり、それを犬に取られるのが面白いのか、鬼ごっごのように走り回っていた。
仕事も無い日曜日、のんびりとしたい気分に浸りたかった私にとってはイライラの種でしかない。思わず、「も~、いい加減にしなさい!!!」と叫ぶ。何回かドタバタと、犬が彼女からカツラを奪い取った後、「ギャー」っという激しい泣き声。
「耳かまれた。耳かまれた。」と泣きわめく三女。
「だから言ったでしょ。もうやめなさい!」と怒る私。
冷静なのは長女、「お母さん、耳のカケラが落ちてる。」
その後はもう大変、
よく見ないと分からない耳の小さなカケラをラップに包み、氷で冷やし、救急車を呼ぶ。
日曜日にも関わらず東京女子医大の形成外科に行くことが出来たので、幸いにも彼女の耳はホリフィールド(マイク・タイソンに噛まれた)の耳のようには成らなかった。
長女が短大生の時、盲腸になった時もそうだった。
夜中の2時に何度も起きてきて「お腹が痛い」と訴える。私は眠い。でもあまりに何回も言うので車で救急外来に連れて行った。
医者が言うには、「検査結果は盲腸のようだが、患者の様子を見ていると手術した方がいいかなあ、どうかなあ。」、そして「どっちにしますか?」と逆に質問された。
彼女は手術を選択したのだが、その後、医者から「腹膜炎ぎりぎりのところでしたよ。手術して良かったですね。」との結論を伝えられた。
このことは、私が鈍感だったのか、彼女がとても痛みに強かったのか、と考えさせられる。
人の痛みの強さの表しかたは人それぞれだし、ハタからみて痛みがそれほどでも無いと感じさせる人は、逆に要注意かもしれない。


91歳の父は正月にインフルエンザにかかった。高熱から回復して安心したが、その後腰痛を訴える。全く動けないという父のために、家中大掃除をして車椅子を借りてきた。ここからは車椅子とベットの生活になってしまうのかと覚悟したが、整形外科のレントゲンからは異常は見られない。
結局のところ、一週間寝込んでしまったことが筋力を弱めた腰痛なので、本人が動かなければ良くはならないとのことだ。
出来るところはなんとか自らの足で動くようにと、家の中で車椅子を使うことをやめた。父は依然として「痛い、痛い」と大騒ぎする。しかし、良く観察していると私がいる時の方が痛みを訴える。
注意はしているが、なるべく見られないようにする、ここは寝たきり老人にしないためと。父には申し訳ないが、「娘はきびしい」のだ。
もしくは、私は本当に他人の痛みを理解しない女なのかもしれない。
「痛~ぁい、痛~ぁい」と叫ぶ老人。「ゆっくりで良いから自分で歩こうね。」と言う私。

この鈍感さが、介護のプレッシャーから私を救う。寝たきり老人への分かれ道に立つ父も救う。



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