2012年2月8日水曜日

見えないものが見える。

父は最近、私には見えない物が見えるらしい。

母が亡くなってから、今年で早十三回忌になる。ひとり暮らしの父と同居し始めてから4年目に入った。

最初のころは父が同じことを言うのを半分ふざけているのかと、思っていた。歳とともに物忘れがひどくなるのも仕方のないことだが、90歳を越えてからは体力的にもずいぶんと衰え、物忘れの症状もひどくなった。更に、正月の一週間インフルエンザで寝込んだ父は日中ボーっとしている時間が長くなった。

ある日、窓の外を眺めながら「あそこにいる人は何をやってるんだ?」と私に聞く。
何のことか分からず聞き返す。
どうも、窓越しに見える家の屋根に人がいるらしい。と言うか、父だけに見えている。
絵を描くことが好きだった父に紙と鉛筆を持たせた。描きあがった弱々しいラフスケッチから、その場所だけは判明した。どうやら、白いシャツを着て、黒のズボンを履いている男の人が紐でぶら下がっているらしい。座っているようにも見えると言う。
ちょっと空恐ろしい気もするが、父は別に怖がるでもない。日によっては「イチ、ニー、サン、シー、あ~今日は5人もいるなあ、何をしてるのかなあ。」と言う。

ある機会に主治医に聞いてみると、どうやら老人にはよく有ることらしい。物は考え方次第。家族がそれをどう捉えるのか次第だと説明を受けた。投薬治療をすることもあるらしい。

保険関係の提出書類に必要なので、その主治医から診断書をいただいた。内容には「認知症」と書かれていた。
(あ~やっぱり、認知症なんだ。)と私は心の中でつぶやいた。

物の本に「認知症の老人が部屋の中のカラスをなんとかしろ、と言って騒ぐ」などという話が載っていた。父の場合は只々淡々としていて騒ぐでもない。孫娘たちからは「おじいちゃん、う・け・る!でもちょっとヤバくない?」などと面白がられている。私は、ご飯粒を口の周りに付けている父を見る時でさえ、心のどこかで「認知症」を受け入れ難く思っている。

とは言え、当の本人は一番幸せかも知れない。私と、孫娘3人に囲まれて段々と子供のように戻っていくのだろう、この先は。薬を必要とするわけでもなく、また今日一日が淡々と過ぎていく。



0 件のコメント:

コメントを投稿