2013年2月11日月曜日

うちのケニー1 : お気に入りソファ(Our Kenny 1 : Her favorite sofas)

子供の頃、犬をかっていた。
勿論、今みたいにペットについて色んな情報が入ったわけではないので、
普通に家の外に鎖でつなぎ、ご飯の残り物をあげていた。

何匹か飼った犬たちはどれも人なつっこくて、みんなに愛そうを振りまいて触られるのが大好きだった。

大人になって、自分の意思で初めて飼った犬がこのケニー。
でも、私が持っていた犬に対するイメージと全く違うのが、このケニーだ。

なにせ触られるのが嫌い。

よくフレンチブルドッグの飼い主さんが、この犬種はいつも体のどこかにピッタリ寄り添って甘ったれなワン子だと言っているのに。

居間にはソファーが2つあって、ケニーはよくそこに寝ている。
(子犬の時には、ソファーに座ったらダメって禁止していたのに、もうそんなルールは忘れ去られた。)

ケニーの毛並みは黒くてツルツルとして、触ったらとても気持ちが良い。
でもソファーに寝ているケニーに触ろうとすると、さっさと逃げてしまう。

がしかし、彼女はこのソファーが大好きだ。
とくに誰かが座っていた場所に、わざわざ座るのが好きなのだ。

どっちのソファーがいいという訳ではなく、誰かが座っていた場所を占領するのが好きなのだ。
まるで、「そこは私が前から座りたいと思ってたのに、君が座ってたから・・・」
と言っているみたいだ。
誰かが、右のソファーから離れたら、左のソファーからやってくる。


そして、またその逆も有り。

これってやっぱりアルファシンドロームなのかな。


My family have had a few dogs in my childhood.
Absolutely we couldn't get enough information for having dogs at that time.
We kept a dog on a chain in our backyard and fed it on the leftovers from our dinner.

Each dog was friendly and faithful to us and those who love dogs.
Also they liked to be petted and scratched behind their ears and belly.

Kenny is the first dog for me after growing up.
And she is very different from other dogs I've ever had before.

She doesn't like to be petted.
But the other day, I met this french bulldog's owner who said
"This kind of dog is very friendly. It's always been next to its owner. It likes to be close to owner's skin."

We have two sofas in our living room.
She is always lying on one of them.
(We didn't allow her to lie on it when she was a puppy,
But she completely forgot the rule by now.)

She has a smooth black coat. It makes me feel comfortable when I pet her.
But she slips away from the sofa once I pet her.

However she loves the sofas.
She likes to sit on it, especially the place where someone just leaves.

It's not that these sofas are both her favorite, she just likes to occupy some one's place.
It seems like she is saying that the place is hers.
"I would've wanted to sleep there."

Right after someone leaves the sofa on the right side, she comes there from the sofa on the left.
And vice versa.

Is it kind of the dog alpha syndrome?



私のHPです。(My website) :似顔絵ウェルカムボード ART TO YOU




2013年2月4日月曜日

エア豆まき (AIR Bean-Scattering Festival)

去年の恐ろしい思い出。
豆まきをしていると、ケニーが喜んで豆をたくさーん食べた。
その後酷い下痢を起こし、私は夜中にワン子にたたき起こされるハメになった。

それで今年の節分は「エア豆まき」をした。

「鬼は外」「福は内」と叫びながら、形だけのエア豆まきをした。なのに犬の記憶力ってすごいもので、家中飛び回って豆を探すのだ。


酷い下痢になってしまった記憶はさておき、おいしい豆をタラフク食べたことはよく覚えているらしい。豆まきなんてキッチリ1年に1回しかやらないのに、全く都合の良い記憶力だ。

下痢の時、私がどんなに大変だったかも、キッチリ覚えていてほしかった。



It was an awful memory at Bean-Scattering Festival last year.
My Kenny was eating lots of roasted soybeans at that time.
Then she got terrible diarrhea after that.
I had to wake up for taking her to outside so many times at midnight.

Then we were AIR scattering beans in this year.

Yelling"Deviles Out!" "Good Luck In!" we pretended to throw beans.
There was no bean, but she ran around looking for it here and there.
She has really good memory!

Although we have Bean-Scattering Festival just only once a year,
she seemed not to forget that excitement to eat it.

I actually think that she should remember
HOW IT WAS HARD to get diarrhea for her and look after her for me.

2013年2月1日金曜日

傷口には目と鼻(put two eyes and a nose above the cut)

今日は父の経管栄養のNGチューブ(naso gastric tube)を交換した。

飲み込む力が無くなってしまった父にとって栄養のチューブは命綱なのだが、
飲み込む力が無いがために交換するのも本当に大変だ。
1ヵ月ごとのチューブの交換は本人にとっても辛いものだ。

訪問看護師さんもいつもかなり苦労している。
今日はなんとか一回でうまく出来たので、看護師さんも私も一安心。

私が父と同居し始めた時は、まだ父は元気でスポーツクラブに行っては1日1000Mの水泳をすることもあった。「死ぬ時はポックリ死にたいなぁ」なんて言ってた父にとって、今のこの状態は喜ばしいことではないだろう。

父が寝たきりにならないようにと、デイサービスを利用したり私なりに努力してきたつもりだったが、その甲斐もなく今は老人介護に明け暮れている。

とは言えどうやって死ぬかなんて(自殺でもないがぎり)選ぶことなど出来ない。
若い頃には想像もつかなかった人生の最期にむけて、死ぬと言う作業もかなりの労力がいるって、悟った。
誰もが絶対一回は死ぬわけで、自分が死ぬ立場になったら多かれ少なかれ誰かの世話にならずにはいられない。

1年前には想像もつかなかった(と、言うより考えたくなかった)ことが現実になって、この生活のペースを掴むのにかなりの時間がかかった。

その間も父は日に数分覚醒するだけで、殆ど寝ている。

「あ~疲れた。寝不足だ~」などと言うと、他界した義母の口癖を思いだす。
「死んだらずーっと眠れるんだから(怠けるな)」
父はきっとゆっくりと休みながら最期の道をたどっているんだな、と思うようにした。

だから、介護は「親孝行」だのと真剣に思わず、別にプレッシャーを感じることなく淡々とこなして行けばいいだけのことなのだ。

よく包丁で指を切ってしまった時など、その傷口が面白い形をしているので目と鼻を書いてみる。
痛みは変わらないが、ちょっと愉快。

おじいちゃん、ゴメン、今日も私はおじいちゃんをネタにしている。




2013年1月30日水曜日

ほぼ1年ぶりにブログ更新。(Writing a blog for the first time in almost a year.)

父は昨年の5月腸炎で入院した。
4ヵ月間聖路加病院に入院後、ついに寝たきりの状態になってしまった。

その間色々と考えることも多く、とてもブログを書く気にはなれなかった。
ブログのタイトルを「・・・臨機応変」などとしてみたものの、こんなにも自分は臨機応変に出来ないことに思い知らされた1年だった。

寝たきり老人の介護生活も早5ヶ月となり、なんとなくペースも掴めてきた。

食事も口から取れなくなってしまった父は経管栄養、そして3時間ごとの痰の吸引をしなくてはいけない。
昼間はヘルパーさんや訪問看護師さんの手を借りて、夜は私の担当だ。

そんな私のこの頃は「どうやってストレスを解放するか」と言うこと。

還暦にもなって夜中の仕事をするのはとてもキツクて、毎日眠気との戦いだ。
パソコンに向かっていても集中力にかける。気がつくとキーボードに突っ伏して泥のように眠る。
時間が許す時は介護から心を離したくてDVD鑑賞にはまった。
それも朝鮮王朝の時代ものばかり観ている。
で、覚えた韓国語はとても現代では使いそうもない言葉「マングカォムニダ、チョーナー」「망극하옵니다」、「恐れ入ります。王様~。」
で、DVDを観ながらも、眠る。

落ち込みがちなテンションは、大好きなチョコをひとナメすればスーパーマリオのようにパワーアップする。
結果は、ご想像どおり。仕事辞めてから体重は3、4キロは増えた。
人生で最大の体重になってしまった。



2012年2月23日木曜日

ストーカー猫、ストーカー犬

最近、野良猫には猫エイズが蔓延してるらしく、猫を家の中のみで飼っている人も多いようだ。
私の家の近所にも、そんな大切に育てられているニャン子がいる。
雄猫の「トム」。よくケニーの散歩の時に会うのだが、飼い主さんはトム君をリード付きで散歩させている。ケニーのような大型犬に遭遇しても(彼女曰く、犬といっしょに飼っているから)全く動じない。
猫だから、人に媚を売らない。でも「トム!」と呼びかけると、「ニャー」と答える、面倒くさそうに。

ある日のこと、この飼い主さんが猫を2匹連れて散歩をしていた。珍しいので聞いてみると雌猫が勝手についてくるとのことだった。
トムは縞しまのキジ猫で、この雌猫は体がトムよりひと回りも大きいブチの猫だ。
その時はそんなこともあるのかと気にもかけず別れた。
数日後、今度は家からずいぶん離れたところでまたこの2匹を連れて(?)散歩している彼女を見かけた。
こんなところまでついてくるの?と尋ねると、彼女が言うには、
最近は散歩の時間を見計らったかのように家の前で待っていて、外に出たとたん、ずーっとついてくるらしい。

これは正しく猫のストーカーだ。

と思ったら、我が家には犬のストーカーがいる。ケニーだ。

犬は賢くて、家の中の誰が何をしてくれる人か、よく理解している。
ご飯が欲しいときはくれそうな人をつけまわす。
誰かが食事をしていれば、テーブルのそばでオコボレを貰おうと待つ。
ケニーを無視して、テレビの方に視線をやっていると、
視界に入り易い場所まで移動してジーッと見つめる。
昼時など、静かに食事の用意をしてひとり自室で食べようかと思ったところで、絶対見つかってしまう。一挙手一投足をいつもストーカーのように見ているのだ。

深夜までパソコンに向かっていると、部屋の扉がカチャっと開く。
廊下の暗がりの中から真っ黒い犬がこちらを覗いている。
犬なりに就寝時間を決めているのか、私の部屋へやってきたのだ。

「まだ仕事してるの?早く寝ようよ。」と三白眼の目が訴えている。
正にストーカーの目だ。

2012年2月10日金曜日

豆まきの後

2月3日、節分に豆まきをするのが恒例の行事だ。
「鬼は外、福は内」で豆をまくと、家中が豆だらけになる。その豆を掃除するかのごとく全部食べてくれるのが、愛犬ケニーだ。一年に一回のことなのにしっかりと覚えていて、豆をまこうとする私の前に立ちはだかり「早く、早く、食べたいよ~」と言わんばかりだ。

しかし、今年の節分は悲惨だった。

きっかけは豆まきより数日前、東京も今年の寒波に震えあがるような日々が続き、夜の散歩も体の芯から冷えてしまった時だった。この犬も10歳を越え、人間なら60歳代というところだろう。にも関わらず、私は30分のスロージョギングにつき合わせた。普通なら15分も走れば暖かくなるのに、その夜は本当に冷えた。帰宅した後、あまりの冷えに私は下痢になってしまった。
そして深夜、ケニーの様子がおかしい。いつもは丸くなって寝てしまう時間なのに、誰かが動く度に何かを訴えるように着いてくる。仕方ないので外に連れ出すと、酷い下痢を起こしていた。
犬だって同じように冷えるのだ。

しかし、私はこのことをすっかり忘れていた。

「豆くれ~、豆くれ~」とばかりに飛びつくケニーに「福は内」と豆をまいた。
ケニーが私のまいた豆を全部食べたのは当然のこと、私は「部屋を掃除しなくて済んだ。」とさえ思った。

その後、ケニーの下痢はぶり返し、獣医から貰った薬を飲ませた。
一日絶食もさせてが、その後も良くならない。もはや夜もゆっくりと休めない。寝床のそばに鍵をポケットに入れたダウンジャケットを置き、靴下を履いて寝る。玄関には水入りペットボトルの入ったお散歩バッグを置く。いつでも出かけることが出来るように戦闘態勢だ。

深夜、丸くなって静かに寝ていたケニーがガバッと起きる。まるで「トイレに行きたいよ~。早くー、早くー」と言う子供のようだ。そんな調子で朝まで3回も外に飛び出した。

極寒の人通りもない深夜、犬にリードを引っ張られながら水ボトルを持って走り回る私。深夜営業のタクシーから見ても、きっと変な光景だっただろう。

あ~、来年の節分からは「エアー豆まき」にしよう。と、心に決めた。


2012年2月8日水曜日

見えないものが見える。

父は最近、私には見えない物が見えるらしい。

母が亡くなってから、今年で早十三回忌になる。ひとり暮らしの父と同居し始めてから4年目に入った。

最初のころは父が同じことを言うのを半分ふざけているのかと、思っていた。歳とともに物忘れがひどくなるのも仕方のないことだが、90歳を越えてからは体力的にもずいぶんと衰え、物忘れの症状もひどくなった。更に、正月の一週間インフルエンザで寝込んだ父は日中ボーっとしている時間が長くなった。

ある日、窓の外を眺めながら「あそこにいる人は何をやってるんだ?」と私に聞く。
何のことか分からず聞き返す。
どうも、窓越しに見える家の屋根に人がいるらしい。と言うか、父だけに見えている。
絵を描くことが好きだった父に紙と鉛筆を持たせた。描きあがった弱々しいラフスケッチから、その場所だけは判明した。どうやら、白いシャツを着て、黒のズボンを履いている男の人が紐でぶら下がっているらしい。座っているようにも見えると言う。
ちょっと空恐ろしい気もするが、父は別に怖がるでもない。日によっては「イチ、ニー、サン、シー、あ~今日は5人もいるなあ、何をしてるのかなあ。」と言う。

ある機会に主治医に聞いてみると、どうやら老人にはよく有ることらしい。物は考え方次第。家族がそれをどう捉えるのか次第だと説明を受けた。投薬治療をすることもあるらしい。

保険関係の提出書類に必要なので、その主治医から診断書をいただいた。内容には「認知症」と書かれていた。
(あ~やっぱり、認知症なんだ。)と私は心の中でつぶやいた。

物の本に「認知症の老人が部屋の中のカラスをなんとかしろ、と言って騒ぐ」などという話が載っていた。父の場合は只々淡々としていて騒ぐでもない。孫娘たちからは「おじいちゃん、う・け・る!でもちょっとヤバくない?」などと面白がられている。私は、ご飯粒を口の周りに付けている父を見る時でさえ、心のどこかで「認知症」を受け入れ難く思っている。

とは言え、当の本人は一番幸せかも知れない。私と、孫娘3人に囲まれて段々と子供のように戻っていくのだろう、この先は。薬を必要とするわけでもなく、また今日一日が淡々と過ぎていく。